病弱さへの憧れ
小学生のころ、
よく友達と家族ごっこ?おままごと?のようなことをして遊んでた。
最初に自分で自分の役を宣言するんだけど、
だいたい、「病気のお姉ちゃん」とか「車いすの妹」っていうような役が人気だった。
あれって何だったんだろう。
※ちなみに車いすの場合モノがないので自転車を車いすってことにしてた
私も、その役に立候補することは無かったけど、内心やりたかったように思う。
でもやらなかったのは、
「本当に病気の人は大変なんだから」とかの考えに至ってたわけじゃなくて、
なんというか、
自分の中の何かを見透かされるような怖さがあって立候補できなかった。
特徴的だったのは、絶対そういう役は一人だけってこと。
稀に二人以上になっちゃったときは、
なんというか当事者含めみんな興ざめして遊びは盛り上がらなかった記憶がある。
病気や車いすの役がいるとやっぱりその子をケアする流れになるから、
特別扱いしてほしい気持ちの現れなのかな?
でも、関連して、同じく小学校のころにちょっと病気をして、
朝晩毎日薬を飲んでたんだけど、
(病気といえども薬で症状が出なかったのでつらい思いをした記憶はない)
修学旅行とかでみんなの前で薬を飲むとき、なぜか内心得意になってる自分がいた。
でもそれは、心配してほしいとかそういう気持ではなかったように思う。
でも、飲んでるところをみんなに見られたいって思ってた。
「いつも元気だけど実は病弱な私」に酔ってた感じかな。
いずれにせよ、やっぱり病弱さへの憧れがあった。
なんでなんだろう。